気の解明の続編を書こうかな:テリトリー(領域)の認識

2021/04/29

以前執筆した「気の解明」は、タイトルの通り、

 

 

について、書いた内容でした。

 

2019年2月に「気の解明」が出版され、約2年。

私の脳内には、その続編的な理論があります。

そこで、ブログで少しずつ書いて行こうと思います。

 

前書「気の解明」では、気の定義を、

 

目に見えないモノの総称

 

と定義しました。

詳しくは、著書を読んでいただきたいのですが、著書では主に武術に役立つ趣旨で書きました。

しかし、今の私は、気をもっと広い視点で捉えています。

新しい気の定義は、

 

五感で認識できないモノの総称

 

です。

さて、その説明の前に、他の気の考え方について触れます。

 

気を一種の電気であったり、何らかの波長か、波動のようなものと捉える場合があります。

例えるなら、ドラゴンボール的に、

「視覚で認識していないが、何かを感じる」

ようなものを気と解釈する場合もあります。

 

この気の捉え方については、否定はしません。

もしかしたら、量子力学レベルで、身体に何らかの波長か波動か電波を感じ取る機能があるのかも知れません。

ただ、仮にこのような気が存在したとしても、私が今回定義する気とは異なります。

 

「身体に何らかのものを感じる」

 

は、言い方を変えると「肌感覚」とも言え、広義の意味では五感で感じる範疇と定義しました。

私の気の新解釈は、

 

五感で認識できないモノの総称

 

です。

一例を紹介すると、

 

テリトリー(領域)の認識

 

があります。

何か神秘的なモノを期待されていた方には申し訳ありませんが、これから語る事は、武術を全くしていない人でも理解できる内容です。

 

例えば、動物は匂いによって、自分の縄張りを主張します。

しかし人間は、まずは建物や塀等による物理的な区切りによって、それぞれの縄張りを認識します。

では、建物や塀等が無かったら?

 

国境や県境等、国家間で決まられた線引きがあります。

その線引きは、あくまで人間同士の話し合いで決められたものであり、一部の例外を除き、本当に線が引かれている訳ではありません。

しかし、知識として線引きを認識し、行動しています。

 

あるいは、それぞれのコミュニティがあります。

それは、趣味のサークルでも、なんでも良いのです。

空手にも流派や団体があります。

 

それらコミュニティは、建物だけで区分けがされるのでしょうか?

例えば、A道場の、道場が地震で崩壊したとします。

更には事業として、倒産したとします。

すると、

「倒産崩壊=A道場消滅」

となるのでしょうか?

倒産&崩壊によって、A道場所属の人が何人かはいなくなるでしょう。

しかし、A道場を精神的支柱として捉えている人にとっては、A道場消滅と捉える事に抵抗があるでしょう。

よって、概念としてのA道場は残る事になります。

 

さて、「概念としてのA道場は残る」という表現に対して、理解ができるか否かが、まさに、

 

テリトリー(領域)の認識

 

と言えます。

※誤解して欲しくない点は、何か特定のコミュニティに対して、崩壊しようが倒産しようが、いつまでも忘れてはいけないという事を言いたいのではありません。

いつまでも概念として捉えるには、その対象に対する強い思いある事が前提です。

そして、強く思うか思わないかは、人それぞれ自由であり、誰にも強要できるものではありません。

 

ここまでの説明を「当たり前のこと」と思う人もいれば、いくら説明しても全く理解できないタイプの人がいます。

このブログの読者の皆様は理解できている前提で話を続けますが、

 

テリトリー(領域)の認識

 

という考え方がある事によって、、

 

  • 無礼
  • 失礼
  • 非礼

 

という状態が発生します。

例えば、葬儀に参列したとします。

葬儀の場も一種のテリトリーです。

 

その葬儀の場で、親族以外の大人同士が、会話で盛り上がり爆笑したとします。

その大人たちは、

 

「葬式の場で笑うのは不謹慎」 ※日本文化の場合。例外を除く。

 

というマナーを知っていましたが、つい会話が盛り上がり笑ったとしたら、元々知っている礼儀を失った状態であり、

 

失礼

 

となります。

「葬式の場で笑うのは不謹慎」という考えを知らないか、そんなに重要だと思っていない小さい子供が、葬儀の場で遊んだり、ふざけたりするのは、元々礼儀を知らないので、

 

無礼

 

あるいは、不躾となります。
そして、亡くなった方に恨みがあり、侮辱する目的で意図的に笑ったり、ふざけたりする場合は、

 

非礼

 

になります。

 

解りやすく葬儀で例えましたが、人と人とが集める場に於いて、必ずそこにはテリトリーが生まれるという事です。

得てして、そのテリトリーを認識できない人が、無礼な事をする傾向にあります。

よって、自律度で示すと、

 

無礼<失礼<非礼

 

となります。

 

例え、アメリカの軍事力を凌駕する範馬勇次郎であっても、アメリカとケンカをする(非礼)と決めた際には、

 

アメリカのテリトリーの認識

 

からスタートします。

「アメリカがどこにあるのかわからない」

「アメリカにいる事に気付かない」

「アメリカがどういう国か知らない」

では、範馬勇次郎並に強くても、すぐに負けます。

そもそも、アメリカのテリトリーを認識できない時点で、範馬勇次郎ではなく、ただのバカになります。

 

つまり、

 

ケンカ=非礼

 

であり、事の良し悪いは別にして、非礼とは自律的な行動です。

失礼無礼は、自律度が低い状態(無自覚に近い状態)であり、危険に気付く能力も低いと言えます。

 

しかし、現実には、会社でも、趣味のコミュニティでも、空手の流派団体でも、

 

自分のテリトリー(世界観)と他者のテリトリー(世界観)

 

の違いを認識できない人がいます。

その認識できない人が、無礼・失礼な事をするのです。

つまり、今回の私の気の定義である、

 

テリトリー(領域)の認識

 

は、武術転じて武道に繋がって行くのです。

この事を、更に詳しく説明しようとすると、まさに本になるぐらいの情報量になります。

本にするかどうかは、未定です。

先ずは、気が向いた時に、思いつくまま書こうと思っています。

 

期待しないで待っててね🤣

 

追記・テリトリーと言ったら幽遊白書を思い出しますね。飛影でもテリトリーのルールを破ると一般人に負けるという設定は、とても分かりやすいですね。私が今回言いたいことは、まさにコレなのです😊

 


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