自分と違う意見を言う人=敵?

2021/04/14

何でも海外の方、海外在住経験がある方によると、日本人は議論が苦手らしいです。

 

参考記事:「ちがう意見=敵」と思ってしまう日本人には、議論をする技術が必要だ。

 

私自身の体験を顧みるに、大いに納得してしまいますね。

私は自分の考えを世に出す以上、異なる意見、反論はあって然るべきだと思っています。

なので、批判そのものを否定するつもりは毛頭ありません。

 

しかし、私が受けた批判のほぼ全てが「人格否定」もセットで付いてくるので不思議に思っていました。

「謙虚さがない」

「おごっている」

「恥ずかしくないのか」

等(笑)

そう思うのは勝手ですが、そう思わない方(川嶋を評価する方)もいる訳で、主観でしかないんですよね。

そして、肝心の批判内容は誤解や曲解が殆ど。

 

仮に、誤解や曲解するにしても、もし私が批判意見をするとしたら、

「私はこのように感じました」

「私はこのように解釈しました」

と言いますが、

「○○を言ってる川嶋は間違い!」

と早々に結論付け!からの~「人格否定」(笑)

 

ビックリしちゃますね。

理と理の意見交換が出来ないのかな~?

 

添付した記事にあるように、

 

反対意見を言うと「和を乱す悪者」になる

 

という価値観が日本にはあるのかも知れませんね。

あるいは、

 

“理”と“感情”を分けて考える

 

事が苦手な方が多いのかも知れません。

 

例えば…

 

私が過去、直接的に不快なことを強いられたことで、

「死ぬほど嫌い」

になった人が何人かいます。

その「死ぬほど嫌いな人」にも、長所や功績がありました。

私は、その人に対しては変わらず「死ぬほど嫌い」ですが、

 

「私は○○に過去、このような経験をしたことから死ぬほど嫌いですが、○○の行った△△については、素晴らしいと思う」

「○○は嫌いだが、技術は素晴らしい」

「○○は嫌いだが、功績は素晴らしい」

 

と、その長所や功績は分けて捉えることができます。

逆に、人格を尊敬出来ても、行動や言動について疑問を感じたら、無理に肯定しようと思いません。

本人に直接指摘するようなことはしませんが、無理に納得しようとも思いません。

あるいは、行動や言動が感性に合わなくても、一度尊敬した経験があるならば、その尊敬できる部分まで否定はしません。

 

ですが、思いの他、“理”と“感情”を分けて考えるのは難しいのかも知れませんね。

どうしても人間は、

 

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い

 

と感情と思考が一緒くたになりがちです。

実はこの、

 

思考と感情の分離を認識する(メタ化)

 

事は、武術でも極意習得に繋がる要素だと私は考えています。

私の著作「気の解明」に、「メタ化」について記載しました。

 

メタ化と武術がどう関係するのかは、詳しくは本の発売をお待ち頂きたいのですが、言ってみれば、

 

日常も稽古のうち

思考も稽古のうち

人生=稽古

 

という結論になります。

つまりは、思考と感情の分離を認識できないという事は修行が足りないという事ですね(笑)

私も偉そうに言っておいて、出来ていないことは沢山あります。

ただ、「出来ていない」と認識できるだけマシ、と自己肯定(笑)

私もまだまだ修行が足りませんね(^^)

生涯修行です!


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